連立方程式に入る、の巻

 本日小学算国、中2、高校生。

中2英語はunit2の文法解説。前回に引き続き接続詞について。

細かいことは前回話してあったのと、whenよりもifのほうがつかみやすいのか、思ったよりも導入はスムーズだった。

最後の英作文では細かいところで注意点がいくつかあって、やや苦しいなという生徒もいたが、ほぼ予定どおりのメニューを消化することができた。

次回もまだ接続詞の話が続く。

中2数学は今日から連立方程式の単元に入った。

最初なので、具体的な解法の話ではなく、二元一次方程式の話から入って、その組合せから連立方程式の話に入って、そして連立方程式の解とはどういうことなのか、まで話を進めた。

ここ数年はさらに、この時点で直線の交点の話を少しだけ入れるようにしている。

何となくのイメージだけでも頭の隅に残っていてもらえれば、一次関数のところで活きてくる。

こうした導入の話をすっ飛ばして計算に特化するやり方もあるのだろうが、うちの塾では飛ばさずに解説しておくことにしている。

英語でも国語でもそうだが、教える事がらについての「本質」ということを、教える立場の人間がはき違えてはならない。

枝葉をそぎ落としただけで、教える事がらを単純化したものを「本質」と言っているケースがあるが、それでは教わる立場の生徒たちが害を被ることになる。

単純化することで、軽々に「本質」という言葉を口にすることで、かえって「本質」とは遠くなってしまっているのではないだろうか。

単純化されたものを「これなら簡単」と思い込み、実際にはものすごい量の勉強を強いられて独力でテストで高得点をとる。これでは自分で勉強に取り組んでいると思い込まされている生徒が実はかわいそうだ。

自力で勉強をして力をつけるのだ、という「きれい事」を言い放ち、実のところ生徒のポテンシャルと家庭の尽力に寄りかかるようでは、それこそ「本質」にたどり着くことはできないだろう。

「本質」が何なのか、実際に私はわかるとは言えない。

だが、ひとつ言えるとすれば、「本質」とはスタートラインではなく、とらえ、たどりつくものなのではないだろうか。

だから、自分自身、日々の指導の中で、物事の本質をとらえていけるように心がけ、研鑽を積もうと考え、考え抜いているとしか言いようがないのである。